ChangeLanguage

最上町のあゆみ(昭和)

明治・大正のページへ

平成~現在のページへ

 和暦  西暦 出来事
昭和
2年
1927 ・小国禁酒会発足する。この頃から、小国地方で馬耕始まる。
4年 1929 ・大又山(官行現場)~ 志茂間に14キロ余の軌道敷設。
5年 1930 ・東小国村煙草耕作組合設立(10月1日)
6年 1931 ・この年凶作。この頃すでに、瀬見・舟形間に定期バス運行。
7年 1932 ・佐藤理吉、衆議院議員に当選(2月22日)
8年 1933 ・満沢鉱山の鉱業権、日本鉱業株式会社に移り、生産本格化。
・小国牧野組合設立、認可される。
・農林省国有種牡馬候補馬の購買地となる。
9年 1934 ・大凶作。水稲平均反収 東小国村八升八合、西小国村三斗三升八合。
11年 1936 ・下小路で住宅21棟、その他17棟焼失の大火災発生(4月25日)
12年 1937 ・東小国村青年学寮設立される。
14年 1939 ・向町営林署設立される(7月)
17年 1942 ・向町大火発生(4月17日)焼死者5名重軽傷85名
一般住宅325戸、その他160棟焼失。
18年 1943 ・東小国村役場新築される。
19年 1944 ・瀬見・赤倉両温泉に東京の学童が集団疎開(8月から)
20年 1945 ・十五年戦争終わる(8月15日)東・西小国村の戦死・戦病死者370名以上
21年 1946 ・小国の馬産、秋田種畜場の管轄下に入る。
・前森原はじめ、東・西小国村の諸所で戦後の緊急開拓始まる。
22年 1947 ・佐藤啓輔氏山形県議会議員に当選する(4月30日)この年、農地改革始まる
24年 1949 ・大堀駅開業(2月1日)
・小国畜産農業協同組合結成。この年で、農地改革はほとんど終了。
25年 1950 ・大堀駅前に西小国村役場新築。牧野が町への移管地となる。
26年 1951 ・中外鉱業株式会社が大堀鉱山を買収し,本格的に生産開始。
29年 1954 旧東小国村と旧西小国村が合併し,最上町が誕生(9月1日)
人口17,439人、町長職務執行者は高橋喜代治、初代議長佐藤儀八郎。
第一回町長選挙で、二戸又治氏が、初代町長に就任(10月)
30年 1955 ・赤倉小学校独立(4月1日)、同校校舎改築落成。
・菊池満義氏が山形県議会議員に当選(4月23日執行の選挙)
・初の町議会議員選挙と教育委員会選挙執行(8月19日)
31年 1956 ・富沢中学校が東中学校より独立(4月1日)
・日雨量200ミリを越す集中豪雨で、町の交通が途絶する(8月5日)
32年 1957 ・旧東・西小国村共済組合が合併し,最上町共済組合発足(4月1日)
・大堀小・満沢小新校舎落成(4月)
・月楯橋と絹出橋竣工し,渡り初め(10月31日)
・県営白川砂防工事完成(完工式11月15日)
33年 1958 ・「もがみ」を図案化した最上町の町章制定(1月8日選定)
・最上町観光協会発足(2月1日)
・瀬見小中学校校舎竣工(10月4日落成式)
34年 1959 ・笈の沢・白川・明神川に永久橋完成する(4月3日渡り初め)
・新庄北高等学校向町分校の新校舎完成(4月30日落成式)
・立小路駅完成。
35年 1960 ・愛宕保育所開設(4月1日入所式)
・最上町和牛振興組合結成され、和牛生産振興の気運高まる。
36年 1961 ・最上町初の平和行進実施(7月7日)
・第二室戸台風の影響で、瞬間最大風速35メートルを記録し,
町内で全壊家屋2戸、半壊9戸、一部破損200戸の被害(9月16日夜半)
37年 1962 ・菊地満義氏が町長に就任(10月)
・東法田小学校、向町小学校より独立(4月3日開校)
・東小国・富沢・最上西の三農協合併し,最上町農業協同組合が発足(5月1日)
・町内縦貫国道(二級国道108号)が一級国道47号に昇格(5月1日)
・富沢保育所、大堀保育所落成。
38年 1963 ・満沢鉱山が休山となる(4月)
39年 1964 ・町制施行10周年(9月1日)記念式典、小中生の旗行列、花火大会等実施。
40年 1965 ・一級国道47号の全面舗装改良工事始まる(6月29日)
・鵜杉駅開設(開業式9月1日)
42年 1967 ・大堀鉱山が休山となる(10月)
・山刀伐峠に芭蕉峠越えの記念碑建立(11月20日)
43年 1968 ・この冬、大雪で国道47号マヒ状態となる(1月)
・花立峠峰越し林道開通(10月19開通式)
44年 1969 ・瀬見の弁慶大橋完成(4月)
・下白川(9月)満沢・末沢の各橋と向町バイバス(12月)完成。
・旧有路家住宅(封人の家)重要文化財に指定される(12月18日)
45年 1970 ・第五回町長選挙で中村仁氏初当選(9月10日)
・最上広域市町村圏事務組合発足(11月12日)
46年 1971 ・細の原に一日12t処理のごみ焼却場完成(三月)
・誘致企業第一号、新庄電機最上分工場が操業開始(9月21日)
47年 1972 ・柴田國男選手が、札幌冬季オリンピックの距離競技に出場(2月)
・赤倉小学校大森分校閉校(5月31日)
・最上町和牛改良組合結成(5月)
・皇太子殿下と同妃殿下が来町(8月2日、瀬見温泉観松館に宿泊)
・みつわ保育所落成(12月2日・48年4月開所)
48年 1973 ・学校給食センターの業務開始(1月9日)
・重文・旧有路家住宅(封人の家)の復元工事完了し、一般公開始まる(3月)
・広域消防が業務を開始(4月1日)
・誘致企業第二号のミツボシ縫製最上工場が操業開始(7月)
・コミュニティセンター完成(8月)、オープン(9月1日)
49年 1974 ・第11回全国中学生スキー大会、赤倉スキー場で開催(2月7~9日)
・在京町人会「もがみ友の会」発足(7月28日)
・日雨量377ミリの集中豪雨(8月1日)で23億円の被害。
・町制施行20周年(9月1日)
・役場新庁舎修祓式及び記念式典挙行。
・町民憲章を制定し、町木に梅の木を選定。
・木田清氏が最初の名誉町民となる。
・集落再編成事業による親倉見集落全戸の集団移転完了(11月)
50年 1975 ・最上町開拓組合が解散し,戦後の開拓事業に終止符がうたれる。(5月7日)
51年 1976 ・早坂毅代司選手が、インスブルック冬季オリンピック距離競技に出場(2月)
・最上町中部土地改良区設立(7月20日)、県営圃場整備事業着工(10月)
・水稲反収対平年比45パーセントの冷害凶作。
52年 1977 ・赤倉保育所完成、開所(4月)
・総合計画答申(7月)
・「最上町発展の基本構想」町議会で承認(九月)
・山刀伐随道開通(8月10日)
・大森地区集団移転完了(46年開始)
53年 1978 ・県内随一の縄文遺跡、水木田遺跡の発掘調査実施(4~9月)
・向町の愛宕山に戦没者420名の霊を祭った慰霊塔建立(除幕式5月1日)
・町民体育館落成(12月12日)開館(12月20日)
・向町小学校新校舎完成(12月30日)
55年 1980 ・海和俊宏選手がレークプラシッド冬季オリンピックのアルペン競技に出場(2月)
・特別養護老人ホーム「紅梅荘」、基幹集落センター合同竣工式(4月28日)
・この年、冷害のため昭和9年以来の大凶作。作況指数21(9月20日現在)
収穫皆無田800ヘクタール。
56年 1981 ・大堀小学校新校舎完成(2月)体育館完成(12月)
・菊池満義氏二人目の名誉町民となる(11月3日)
57年 1982 ・中部地区県営圃場整備事業(324ヘクタール、事業費22億円)
・第2次構造改善事業竣工(6月6日、合同竣工式)
58年 1983 ・富沢小学校新校舎完成(3月7日落成式)
・全国初の向町駅舎併設公民館完成(6月17日落成式)
・ゾンネ一相型の集団赤痢が発生し、149人感染(11月~12月)
59年 1984 ・赤倉小学校新校舎完成(1月20日、落成式2月1日)
・サラエボ冬季オリンピックにアルペンの海和俊宏、
距離競技の佐藤智両選手出場(2月)
・西公園野球場完成(8月11日竣工式)
・町制施行30周年(9月1日)、記念式典
・第一回産業まつりなど行なわれ、町花にリンドウ、町鳥に山鳥、
町獣にかもしか、町色にみどりを選定。
・岩手県三陸町と姉妹都市締結(12月22日)
60年 1985 ・大堀保育所新築落成(3月)
・大場満郎氏グリーンランド一400キロ単独歩行横断(4月)
・県議最上地区補選(9月)、五十嵐利夫氏が当選。
61年 1986 ・瀬見中、西中、東中、富沢中が閉校(3月)
・最上中開校(4月)
・アメリカから英語講師テレサ・プライスさん来町(5月)
・西公園に温水プールオープン(7月)
62年 1987 ・大堀駅改築落成(2月)
・富沢保育所改築落成(2月)
・最上中、県スキー大会で男女総合優勝(3月)
・防災行政無線システム開局(8月)
63年 1988 ・結城谷行選手、カルガリー冬季オリンピック距離競技に、日本代表として出場(2月)
・簡易宿泊所「おらだずの宿りんどう」完成(4月)
・健康管理センター設置(4月)
・姉妹都市最上町・三陸町「第一回児童交流事業」開催(7月27~29日)
・最上病院夜間診療開始(11月)

明治・大正のページへ

平成~現在のページへ

この記事を印刷この記事を印刷

このページの記事に関するお問い合わせ

最上町役場   総務企画課   まちづくり推進室
電話  0233-43-2261  メールアドレス 

 Top