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歴史・文化・史跡(向町地区)

月楯弁天

月楯弁天

祭神は市杵島姫命、即ち弁財天で、小国(最上町)開発草分けの伝説の発生の神で、安芸国から来たと伝えられています。この神社は、月楯字村内にあり、厳島神社とも称し、郷民が厚く信仰した神社です。

これも義経伝説にちなみますが、北の方が難産で苦しんだ時に祈願したところ、無事にお産をすませることができたそうです。 義経一行がここを通り過ぎる折、弁慶を代参させてお礼を述べさせたということです。

月楯弁天の格天井(つきだてべんてんのごうてんじょう)

月楯弁天の格天井

お堂の天井は、着色絵でいっぱいです。また20枚にも及ぶ絵馬が庶民の信仰の厚いことを物語っています。 特に目を引くのが、養蚕のお礼詣りに来た姿の絵馬であったりして、これらは養蚕の神として信心されていた弁天様であったことを示しています。

太郎田観音

太郎田観音

若宮には、太郎田観音があり、最上33観音の32番札所となっています。本尊は11面観音。

この観音を管理する滋雲山明学院は、明治初期までは葉山派の修験で、その後に天台宗の寺院となりました。

 伝説によると小国の地は、天平年間(729~49)頃に開かれたが、この観音はその開発に携わった伊豆三郎という人の信心仏(11面観音)をまつったことに始まるといいます。

 正観音を浮き出させた径20センチほどの鋳造の円形懸仏は、一説では、600年以上前の作と言われます。翁頭部像は高さ7センチの小さな木彫りで、明学院管理の諏訪神社のご神体。

とぐろを巻く蛇の胴体に、あご髭の翁の頭部が乗る珍しい彫り物です。

本城岩部の楯跡(ほんじょういわべのたてあと) 

本城岩部の楯跡

 本城は、岩部の舘 (お城山)の城下村になります。

 今なお、門前(大手門)旦那小路、十日町、表小路、中小路、裏小路、鳥出(砦)の名をもつ小路があり、そのほかには本丸、二の丸、内構え、的場、代官屋敷、代官下屋敷、ようがえ楯、貝吹き楯、などと田畑や山に名を残しています。

 岩部の舘は500年前あたりに出来たもので、細川氏が舘を築き、その以前の村のことはくわしくわからず、只、小さな百姓村であったといいます。

 本城は小国郷のほぼ中心にあり、北からつき出したお城山と、南の向山がせまく寄り合って、戦国時代は絶好の要塞地であったろうとしのばれます。

 戦国時代の末期になり最上義光に侵攻され、敗れます。 この戦に功のあった天童蔵増氏の嫡男がここに小国城を築いて小国日向守を名乗ったとされています。城山はひっそりと林に囲まれていますが、今なお、お城山と呼ばれて人々に親しまれ ています。 

お城山城跡線

お城山城跡線

舘主の小国日向守やその家臣が城へと通った道です。

途中の、山の神様、大平山、御前清水(すず)を散策さながら、山頂までの道程約20分、眼下に広がる小国郷の盆地を望み、清流絹出川と八森山・火打岳・小又山などの神室連邦を一望 しながら、歴史を振り返ってはいかがでしょうか。

草餅地蔵

  本城の鉄道踏切のところに、等身大の石の地蔵様が立っています。

むかし、飢饉が続いたとき、餓死人回向のために祀られたものと伝えられています。

 この地蔵様のわきに、一尺ほどの達磨の形をした自然石が祀られています。この地蔵様は、時々姿をかくして旅に出るそうです。

 本当は、この地蔵様は地蔵ではなくて、山の神であって、村の中に子供が産まれるときには、必ず地蔵様とともにその家に行き、生まれ子の道(運命)を決めるのだそうです。

 この時、地蔵様は決まって長命を授けようとするが、山の神はいつも短命を主張するので、実際の寿命はその中間に決まるのだといいます。地蔵様が姿を消すのは、このためであると伝えています。

また、この神様は夜遊びの好きな神様で、ときどき娘の姿に化けては、方々浮かれて歩くので、「夜這い地蔵」とも呼ばれています。 また、この地蔵様は草餅が大好きであるといいます。

村の人々は、草餅をつくと、きまってこの地蔵様に供えることにしているといいます。

「草餅地蔵」と呼ぶのはこのためです。

大天馬様(だいてんばさま)

黒沢には、大天馬様という神社があります。

大天馬様のお姿は頭が竜で、身体は馬、背中に鷲の翼を持っている奇妙な姿であるという。大天馬様は、この姿で雲を呼び、雨を呼んで、天空をかけめぐる神様であるという。ときどき、山奥の「まのがみ滝」に現れて、水浴びをするということです。

また、大天馬様のお姿は蛇体であるともいい、水の神であり、その使いのものは蛙であるというので、木や石で造った蛙がたくさん奉納されています。

 蛇にしても、蛙にしても水と縁があり、もともと農作に関係ある神であろう。大天馬様の奥の院は「まのがみ滝」であるといい、いまでも雨乞いの場所になっています。

  いまは、牛潜の大天馬様と同じように、馬を守り、女の下の病気を癒す神、安産の神として崇められています。 病人が出ると、家の人がこの神社に参って、病気が癒えれば、新しいものととりかえて奉納する習わしがあります。

境内に祀られている石の蛙は「いぼびっき」と呼ばれ、手足のいぼをこすると、奇妙になおるといいます。 また、子供の手足に出来る「いぼ」を治してくれる神として広く信仰されています。

 昔は黒沢で麦を作ったり、井戸を掘ってはならないものと伝えられていました。それは、いつのころか、大天馬様がほかの神様と麦畑で力くらべをして、折角伸びてきた麦を目茶目茶に踏み倒したので、人々は、以後麦を作らなくなったからだといいます。

 また、井戸を掘ってはならないのは、このとき、大天馬様から投げ飛ばされた神様が井戸にはまりこんで、大変苦しんだからであるということです。

 黒沢では井戸を掘っても良い水が出ないのはこのためであるといい、この村では近年まで流れ水を飲み水としていました。井戸を掘ってならない理由については、また、大天馬様のお使いの蛙が井戸に落ち込んで苦しんだからだとも言います。

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